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コラム

幸せとは何だろうか

テレビ番組で三木清の「人生論ノート」を取り上げて「幸福」について話していました。それは戦前に書かれたものであるのに、まるで現代の世相を映しているかのような内容でした。

人は幸せになるために行動しています。でも、「自分の幸せ」ということを言いにくい雰囲気がありませんか。「自分の幸せのため」というより「生活のため」「組織のため」を求められているように感じませんか。「自分の幸せ」を考えないようにしていると、何のために働いているのか、ときどき分からなくなってしまいます。それが「みんなのために個人は我慢して」となってしまうと、息苦しく感じます。

他人の幸せをうらやみねたむ人は、どこか自分以外のために無理をしている、自分だけが我慢していると感じることが多いものです。そして、その人が幸せであることではなく、社会的に成功している、幸せそうに見えることに、嫉妬を感じています。

幸せと成功は等しいものではありません。私たちは「地位が上がったから」「お金をもうけたから」と言って必ずしも幸せであるとは限らないことを知っています。成功は手にすることもあれば、失うこともあるものです。つまり成功は、「権力のある地位に就く」「多くのお金を得た」など量的なものを示し、移ろいやすいものです。

一方、幸せは、人によって違いがあり、自分がどうありたいか、何を大切にしたいのかに関わっています。つまり、幸せは決まった形があるわけでなく、人それぞれが持っている価値観や生き方に関わるものです。幸せは、質的なものを示し、人によってオリジナルなものと言えるようです。幸せであるから成功に向けて努力することができるのです。むしろ、社会的な成功を失っても残るものの大切さを知る人こそ幸せと言えるかもしれません。

三木の幸せへの考えを知り、立ち止まって自分は何を大切にしようと思っているのかと考えを巡らしました。幸せとは何だろうか。昇進や結婚など、自分を取り巻く状況や時期により、見出すものは変わっていくかもしれません。時に苦しみながら、厳しい状況の中で自分の幸せを守るために頑張ることもあるものです。そして、その幸せは、誰かと比べることが出来ないものです。自分は何を大切にしたいのか、何を頑張りたいと思っているのか。移ろいやすい成功ではなく、何を求めているのかと静かに自分に問いかける時間を持ってみてはいかがでしょうか。

 

(御池メンタルサポートセンター 臨床心理士 山根英之)