私事にはなりますが、この5年で大切な人が4人、天に召されました。病からようやく解放されて、今頃きっと天国でのびのびと過ごしているのだ、と思えば幾分気持ちは慰められますが、それでも心にぽっかり穴が空くとはこのことだと、折に触れ思う日々です。
死別は大きな喪失体験ですが、人は一生の中でいくつもの別れを経験し、その対象は人だけに限らず、ある環境や状況、自分の在り方であったりします。そして、かつて当然のように享受していたものが「ない」状態になって初めて、「あった」ことに気づかされます。親を亡くせば、寂しく悲しいのと同時に何やら心もとなく、いくら自立し、守られる立場から守る立場に変わったつもりでも、漠然と親の庇護下にあるという安心感をどこかでまだもらっていたのだと気づきます。異動して慣れた環境や業務から離れれば、たわいのない話で盛り上がった時間の尊さや、何かと守ってくれた上司、教育してくれた先輩方のありがたみを実感することでしょう。
しかし、終わりは始まりという言葉通り、喪失と獲得はいつもセットであるとも言えそうです。新たな環境に身を置けば、また新たな状況や立場、人と出会います。死別の場合には、その人なしで生きていく(いかざるを得ない)新たな自分を得た…と表現できるでしょうか。私たちは多様な思いを抱えて、自分が置かれた状況に少しずつ身をなじませながら、日々新しい生を作り出して適応していきます。
高校生の頃、「一度出会ったら、人は人を失わない」というある小説の一節に胸を打たれました。たしかに、今ここに存在しなくても、あの人だったら何と言うだろう?と想像したり思い出したりすることで、かつての誰かに励まされたり救われたりすることがあるからです。そう思えば、別れは必ずしも喪失とイコールではない、とも言えるかもしれません。
「会いたい人には会っておく」がここ数年の私のモットーですが、皆さまにとっての「会いたい人」はどなたでしょうか?その方との時間を、どうぞ大切にお過ごしください。それは皆さまの心身のエネルギーとなり、今だけでなく、いつかのあなたを支えてくれます。そしてまた私自身も、誰かにとってのそうした存在でありたいものです。
(御池メンタルサポートセンター 臨床心理士 藤井 彩)