「バスが停留所で止まり、乗り込んで来た高齢の女性に気づいてある若者が席を立ち、次の停留所で降りるふりをして車両前方へ向かった。その高齢の女性は若者の行為に気づかず空いた席に座った。そしてその若者の行動を見てほほ笑む乗客がいる。」このような利他的行為(他者への思いやり)を「アルトルイズム」と呼びます。これと反対の意味を示す「エゴイズム」という言葉はよく耳にされるでしょう。
では、なぜ人は利他的な行動をとるのでしょうか。見返りや賞賛を期待したり、世間の注目を集めるためでしょうか。中には、人が困っている状況を目にすると不快に感じ、その不快感を取り除くために人助けをするのだという考え方をする学者もいます。程度にもよりますがこれらが決して悪いというわけではありません。しかし、こういった自己利益達成の手段ではなく純粋に他者の幸福を目的として行動する動機が人の心に存在するのでしょうか。実はこの問題は哲学や経済学、生物学などあらゆる学問において古くから研究されています。否定的な考えを示す学問もありますが、社会心理学では「人の心には生来、利他心を備え、自発的に、自分のためでなく相手のために時間と労力を費やし行動することがある」と考えられています。
進化の過程にまで敷衍(ふえん)してみると、自分が何の得をしないにも関わらず他者を助けることは一見不利であるようにみえるため、こういった援助行動が進化したことはとても不思議に思えます。ですが私達の心に内在するこの特質は祖先からの大切な贈り物のようにも感じられます。というのもこういった自発的援助行動は、自分に価値があるという感覚が得られるとともに幸福感を高め、それによって健康を増進させることが実証されているからです。同様に援助を受けた時に感謝する気持ちを持つことも心を豊かにしてくれます。ただ気をつけなければいけないのは、自己を犠牲にし過ぎないことです。行き過ぎた自己犠牲は一時的な満足感は得られますが長続きしません。
マスクも手洗いも広義のアルトルイズムです。ご自身の思いやり行動を振り返り、それを認め、幸福感を追思することは心の健康に有効です。そして冒頭の高齢の女性に気を遣わせることなく席をゆずる若者の行動に関心を寄せる乗客のように、他者のアルトルイズムに気づくことも大切だと考えます。
(御池メンタルサポートセンター 産業カウンセラー 菅原 由佳)